東北伝説紀行

岩手県一関市 千厩(せんまや)酒のくら交流施設

かつて「普請道楽」と呼ばれた醸造家がいた。全国に名を馳せる南部杜氏のご当地であり美酒を醸す酒蔵がひしめく岩手においても、その建物への「贅の尽くし方」は突出していたようだ。さて、いかなる意匠を凝らしたものであったか、ここでじっくりと見ていこう。

「馬の名産地」で創業した銘酒の醸造所

古代から名馬の産地として名高い岩手県一関市の千厩町。その一角に21棟もの建造物と石塀が国の登録有形文化財となった「千厩酒のくら交流施設」がある。この建物群はかつての「横屋酒造」が約2700坪の敷地に、工場や蔵、住居などとして建てたものだ。
横屋酒造は、大正元年(1912年)創業の老舗だ。摺沢横屋(現大東町摺沢)の三男・佐藤秀平が、建築途中であった「司馬屋」の土地建物を譲り受け、それらを基に創始した。秀平は「普請道楽」と呼ばれるほどの建築好きであったことから、そのこだわりの意匠が建築物の各所に反映されている。

設計士が、大工がその技術力をすべて注ぎ込んだ「結晶」

門の正面に並び建つのは「西洋館」と「主屋」。この2つがこの施設全体を印象づけていると言っていい。西洋館は酒類の販売所として1924年に建てられたもので、日本の土蔵に使われる「なまこ壁風」が洋風のデザインと融和した、一風変わった木造建築だ。
一方、隣の主屋は1901年に上棟し1924年に完成。日本家屋の工法に則り建てられてはいるが、たたきに貼られたモザイクタイルなど、あちこちに洋風建築の意匠が用いられている。玄関入り口の踏み石は花崗岩一枚のビシャン仕上げに、玄関屋根を支える二本の柱を花崗岩製にするなど重厚さを演出。玄関雨戸はケヤキの一枚板で作られ、贅沢な材料使いとなっている。
設計の主な部分は、秀平の従兄弟である建築家・小原友輔(大東町摺沢出身)が行ったと伝えられている。小原は「東京駅」や「日本銀行本店」の設計で知られる辰野金吾に師事した経歴を持つ人物だ。これらの伝統的和風建築と西洋風意匠の融合は、辰野の影響が強く出た部分だろう。また建物の随所に施された手の込んだ細工は、かつてその技量で全国的に知られた岩手の名工集団「気仙大工」によるものだ。石材は部位により仕上げ方法を使い分けられており、その丁寧な仕上げが光る。
これらの建築工事は、設計・施工とも日本の最先端を学び、当時最高の技術を身につけた者たちが「地元に錦を」との思いを胸に、持てるすべてを注ぎ込んだまさに”一大プロジェクト“でもあったのだ。

建物の配置がもたらす佇まいの独特な重厚さ

建物の豪奢さの一方で、その配置にもまた見るべきところがある。正門を抜けた敷地内の東南道路一帯に面し、「文庫蔵」「新蔵」などの土蔵が整然と並び、敷地内北側の「東蔵」と「枯し場」の間にある狭い通路は、明治から大正の建築に囲まれ独特の雰囲気を醸し出す。また主屋内部からは、西洋館背面に位置する土蔵群の切妻造が整然として並ぶ様子が見渡せ、主屋裏玄関からは庭園と小蔵、その向こうには大規模な酒造蔵群が雄大に立ち並ぶ様を一望できる。
これらの区画配置には、秀平が土地建物を譲り受けた「司馬屋」の当主・白石淳造による敷地割の影響が強いようだ。おそらく白石には空間デザイン的な素養があったのだろう。そこに秀平のディテールへのこだわりが作用し、巷ではなかなか見られない、独自の雰囲気を持つ建造物群が誕生するに至ったと言えそうだ。

意匠はそのままに「今」にふさわしい場所へと再生

現在は「千厩酒のくら交流施設」という名称のもと、コミュニティスペースとしてさまざまに活用されている。
敷地内には、馬産地であった証である馬具などを展示する「馬事資料館」のほか、今なお焼酎「玉の春」を製造する「酒蔵群」がある。北上山系の清冽な水と豊かな自然が育んだ米を用い、南部杜氏が手がける焼酎は試飲も可能だ。また一部酒蔵はライブ会場としても活用されており、時折コンサートが催されるという。
石門を入ると、辺りは外の喧騒がウソのような静けさをたたえ、訪れる人を大正時代に誘う。当時の「粋」を今に伝えるこの場所で、その精緻さにしばし感嘆してみてはいかがだろうか。

さあ「伝設」をその目で見よう!

岩手県一関市 千厩(せんまや)酒のくら交流施設
●住  所/岩手県一関市千厩町千厩字北方134
●交  通/一関ICより車で約45分、JR大船渡線・千厩駅より徒歩約15分
●営業時間/10:00~16:00
●定休日/月曜日(祝日の場合翌日)、年末年始
●入館料/無料
TEL.0191-53-2070