東北伝説紀行

宮城県仙台市 ラーハウザー記念東北学院礼拝堂

東北学院大学の土樋キャンパス正門から入って右手に建つ、荘厳な佇まいの礼拝堂。2014年には国の登録有形文化財にも指定された、歴史的価値を有する史跡でもある。この静かな面持ちの前を、いくつもの困難が通り過ぎていったという。今日にいたるまで、この建物はどんなドラマを経てきたのだろうか。

当時の技術の粋と、とびきりの資材を集め建てられた学校施設

東北学院は、幼稚園から大学院までを有する総合教育機関だ。キリスト教伝道者育成を目的として1886(明治19)年に開校され、以来130年以上一貫してキリスト教精神に基づく人間教育を行ってきた。
その土樋キャンパスには、明治から昭和初期にかけて建築された歴史的建造物が現在も残っている。正門正面に建つ「東北学院大学本館(旧専門部校舎)」と、右手の「ラーハウザー記念東北学院礼拝堂」は、共にJ・H・モルガンの設計によるもので、外壁は仙台市の秋保で産する自然石を使用している。当時の学校施設としては最高の材料・技術を用いたものといえるだろう。本館の左手に建つ「大学院棟(旧シュネーダー記念東北学院図書館)」と併せたこれら3棟は、2014(平成26)年12月に国の登録有形文化財の指定も受けた。今回は中でも特に礼拝堂に注目して見ていこう。

関東以北で初めてのパイプオルガンが設置された礼拝堂

定礎は1931(昭和6)年7月19日、献堂式は1932(昭和7)年3月19日。「ラーハウザー」の名称は、シュネーダー院長の米国での建設募金活動に賛同して巨額の献金を寄せた、エラ・A・ラーハウザー女史の名前にちなみ名付けられた。
地下1階地上2階建ての南北に長い鉄筋コンクリート造建築で、十字形の礼拝堂の南に玄関とホール、北に教壇を構え、両脇とホール2階も聴衆席としている。扁平尖頭アーチの縦長窓や笠付の柱形が垂直性を強調するカレッジ・ゴシック様式の外観で、本館とともに大学の核を構成する。収容人員は900名。米国モーラー社製のパイプオルガンが設置され、それが関東以北で初のパイプオルガンとなった。ちなみにパイプオルガンは現在、1978(昭和53)年12月に設置されたドイツベッケラート社製のものに変更されている。今もなお、日曜を除く毎日午前10時25分から礼拝が行われるほか、卒業生が結婚式に利用することもあるそうだ。

ステンドグラス越しの色鮮やかな光に包まれ祈りを捧げる

扉を開けて礼拝堂に入ると、細長い通路の向こうに、イエス・キリストの昇天の場面を極彩色で描いたステンドグラスが視界に飛び込む。高さ約4・4メートル、幅約3・5メートル。背後から射し込む日差しがステンドグラスを通過し、色鮮やかな光となって注ぐと、あたりに荘厳な空気が満ちていく。
これは英国のヒートン・バトラー&バイン(HeatonButler& Bayne、以下HBB)工房で制作されたもので、同社制作のものは当時国内にはほか2ヵ所に設置されていたという。しかしその内の1つ「横浜クライスト・チャーチ(横浜山手聖公会)」の作品は1945年に焼失。もう1つは神戸の邸宅に設置されたもので現存せず、今はこの作品しか遺されていない。キリストと天使たちの衣は同じ黄色でも異なる色で表現。手足の指の描写も繊細で、非常に奥行きを感じさせる仕上がりとなっている。
シュネーダー院長が横浜のアメリカ人建築家モルガン、HBB工房に注文を出した際の手紙によると「天使の数を減らし、キリストを目立たせるように」との指示が出されたようだ。さらに中央にエルサレムを強調して描くことで、「仙台をエルサレム(聖地)に」と考えたのかもしれない。

その佇まいに残された戦争の「傷」に当時を垣間見る

入口にかけられた金属製の手すりをよく見ると、なぜか根本に切断されたような跡が残っている。これは第二次世界大戦時、武器製造のための金属回収によって、余分な支柱を外して提供したためなのだそうだ。意外なところに、戦争の爪痕が残っていることに驚かされる。米軍機から投下された焼夷弾が貫通し礼拝堂の屋根に穴が開いたこともあったが、幸い不発であったため建物は無事であった。
先の東日本大震災でも天井や壁が一部剥がれたり、窓ガラスが割れたりしたが、礼拝堂に被害はなかった。まさに戦争を耐え忍び、そして未曾有の大災害を乗り越えた建物なのだ。
しかしその佇まいは、くぐり抜けてきた災禍を感じさせない平穏さを漂わせる。今日も学生たちが祈りを捧げる中、礼拝堂の一日が始まろうとしている。

さあ「伝設」をその目で見よう!

宮城県仙台市 ラーハウザー記念東北学院礼拝堂
●住  所/宮城県仙台市青葉区土樋1-3-1
●交  通/仙台市営地下鉄南北線
      五橋駅より徒歩約5分
※詳細は要問合せとなります。
TEL.022-264-6411