東北伝設紀行

青森県弘前市 弘前昇天教会

明治、大正の洋風建築物が数多く残る青森県弘前市。先進的な津軽気質がいち早く取り入れた西洋文化が地方の技術と相まって現代に残されている…。

明治のハイカラ気風があちこちに残る街

青森県弘前市は、津軽藩の時代から中央から数多くの職人を招いたり、地元産業の発展のために人材を中央に派遣するなど、他の土地に先立った地域振興を進めてきたところ。このような風土、気質が文明開化の明治時代に富みに大きな影響を及ぼし、東北の他の地域よりいち早く西洋文化を取り入れた。「学都」を目指した弘前市では、明治6年に「東陸奥塾」が開学し、英語教育のために多くのアメリカ人教師が招聘された。彼らの影響によりキリスト教も早く広まり、多くの教会が建てられた。また、一方で「軍都」としての側面を持つ弘前市は、明治29年に第八師団本部がおかれ、師団本部などの洋風建築も誕生することになったそうだ。そしてもうひとつ。弘前にたくさんの洋風建築が残ったのには理由があった。それは第2次世界大戦での戦火を免れたこと。青森市は空襲で大きな被害を受けているが、弘前市は空襲を受けていない。明治以来アメリカ人宣教師が多く住み、そのなかで帰米した人が、時の大統領に弘前を爆撃しないように直訴し、この訴えが容れられたからだという話が伝えられている。真偽のほどは定かではないが、地元では広く信じられている話だ。今でも数多くの明治・大正の貴重な建築物が残る弘前市は、建築を学ぶ学生たちにとっても学ぶべきものが多く、毎年多くの学生、研究者が訪れている。

中世ヨーロッパを思わせる格式のある荘厳な建物

弘前の落ち着いた街並みの中に、ぽっかりとそこだけ中世のヨーロッパを思わせる空間。そこに弘前昇天教会はある。イギリス国教会の伝統を引く日本聖公会東北教区に属するプロテスタント系の教会で1896年(明治29年)に弘前でキリスト教の宣教がはじまり、伝道のための講義所がこの地に設けられた。その後、司祭が常駐することとなり、現在の地に教会堂が建設された。現在の教会堂は当時の司祭であったニコルス師のもとで改築され、設計は、愛知県犬山市の明治村にある国指定文化財となっている聖ヨハネ教会教会堂なども手掛けた宣教師であり、建築士でもあったジェームズ・ガーディナー氏によるもの。1920年(大正9年)に改築された現在の教会堂は、イギリス積みの赤レンガ造りの平屋建て、屋根は亜鉛鉄板葺き。全体をゴシック様式でまとめている。

朝夕のお祈りに鳴り響く清涼な鐘の音色

教会に使用された赤レンガは、弘前近郊で採掘された自然石で、施工に携わったのは本人もクリスチャンであった地元の大工、林緑氏(はやし みどり)が担当した。建物の正面右寄りに立つ三角の塔は、鐘塔でトレフォイルという三葉飾りのアーチに鐘を納めており、建物のシンボルとなっている。この建物の最上部にある鐘は、朝夕のお祈りの時間に清涼な音色を奏で、遠く5キロ先のまで響き渡るといわれている。外観はゴシックといっても、イギリスの田園風景が似合いそうな田舎の教会という風情があり、親しみやすい雰囲気。柱型の模様、登りアーチの中のさりげない飾り、カーブする方杖が添えられて見事に構成されているチューダーアーチ(注・1)、白壁と柱・垂木やトラスの濃茶との色彩のコントラストが印象的で、どれをとっても美しく見事だ。また、雪国らしく、教会の中へは靴を脱いであがるようになっている。板張りの床に襖と欄間があり、内部の意匠は和洋折衷で日本の教会堂ならではといえる。壁のなかほどまでは鏡板、それより上は白壁になっており、内陣の天井のむき出しの木造トラス構造がひときは際立つ。クリスマスをはじめ、教会の行事の時には、多くの信者が集まる弘前昇天教会。祈りの場所にふさわしい荘厳さを漂わせている教会堂は、時代を超えて今も変わることのない人々の祈りの場所。そして弘前の歴史を刻む大切な場所だ。

(注1)
チューダー様式とは、16世紀イギリスのチューダー王朝期の様式。チューダー様式は、ゴシック様式を受け継いでいるが、イギリス・ルネサンスの初期ともみなされ、チューダー・アーチと呼ばれる幅広で平たい尖頭アーチはこの時期の特徴である。

さあ「伝設」をその目で見よう!

日本聖公会
弘前昇天教会教会堂
●開館時間/9:00~16:00
●休館日/日曜日、司祭不在時
●入館料/無料
●住  所/青森県弘前市山道町7
●交  通/JR奥羽本線弘前駅からバスで7分、中土手町下車、徒歩5分
●詳しいお問い合わせは/TEL.0172-34-6247

宮城県(仙台・石巻・一関)でのリフォームは
クラシタスにお任せください。