生活の基盤となる「住まい」を手がける責任を胸に

クラシタス会 左官工事担当
村上 長次

  • 若干21歳にして親方に その苦労と手応え

    わずかなコテの跡も残さず、なめらかに仕上げられた壁。その仕事ぶりは「端正」という言葉そのものです。この道40年以上のキャリアを誇る、クラシタスの頼れる親方。その村上さんが左官業の道に入ったのは18歳の頃でした。岩手県北上市の中学校を卒業した後、集団就職で横浜に2年ほど勤務。その後、北上市に戻り、左官店へと住み込みで弟子入りすることに。当時、職人の仕事といえば「見て盗むもの」と言われる時代。昼は親方の背中を見ながら、道具の使い方や、建材に対する素材の選び方などを学び、夜は職業訓練校に通い、知識を身につける日々。「もう無我夢中でしたよ。」と苦笑しつつ、当時を振り返ります。そして3年ほどたった頃、親方が病気により急逝。ようやく仕事が面白くなり始め、より多くのことを学んでいきたい、と思っていた矢先に起きた、突然の悲劇でした。親方を失くした店を、誰が引き継ぐのか―そこで白羽の矢が立ったのは、生前、先代が後継に指名していた村上さんでした。若干21歳の村上さんは突如、「若き親方」となったのです。生活もこれまでとは一変。建設会社やお客様への挨拶回りをしながら、営業をかける日々がスタートしました。一方、当時雇っていた職人は全員年上のベテラン揃い。若い村上さんが店を回していくには、なにより彼らとの信頼関係の構築が必要でした。「経営者とはいっても、まだまだ自分も現場の仕事を頑張らなくてはいけない時期でしたからね。年上の職人さんと一緒に働く中で、仕事を教えてもらったりしながら、自然と関係も密になりましたよ」。若い村上さんをベテランの職人の皆が支えることで、親方が残した店を一丸となって守りました。

  • 目下の課題は「北上での職人育成」業界の未来を想う

    「左官の仕事で大切なのは、腕の運び方ですね。塗る素材や下地によって、コテを当てる角度も変わる。もうこればっかりは、口で教えられることじゃないんですよ。身体で覚えていくしかない」と、この仕事の難しさを話す村上さん。若い職人に、それを伝えたい想いは人一倍です。しかし、と顔を曇らせながら言葉を継ぎます。「若い人が入っても、なかなか長続きしないんです。周囲の左官屋はどこもみんな、後継者に困っているんじゃないかな」。北上市の左官業組合で組合長も務める村上さんにとって、今一番の課題がこの「後継者問題」。左官業に興味を持たせるにはどうしたらいいか、いざ興味を持った人に、どんな入り口を用意すればいいか。様々な知恵を出し合い、課題解決に取り組んでいるところです。最後に「仕事で大切にしていることは?」と訊ねると、村上さんは「住まいって、その人の生活の基盤でしょう?責任重大なんです。お客様の要望はどこにあるのか、不具合は何かをしっかり把握するために、しっかりと話して、しっかりとした仕事で返す。どんな時にも、それだけはおろそかにしちゃだめだね」と力強く答えてくれました。店を切り盛りし、後進の育成を考えながら、今も日々現場に赴く村上さん。その姿には気力がみなぎっています。