「期待すればこその厳しさ」に気付いて

クラシタス会 塗装工事担当
浅野光雄

  • 「もう限界」という瞬間を乗り越える毎日を経て

    34歳という若手ながら、2人の職人をかかえ、切り盛りする気鋭の塗装職人の浅野さん。お客様アンケートでも断トツの評価を頂いており、塗装の技術も非常に高く、「真面目で礼儀正しい」「挨拶が気持ち良く、話しかけやすい雰囲気を持っている」「施工過程を丁寧に説明してくれた」とお褒めの言葉もたくさん頂いており、社内優秀職人表彰も二年連続受賞中です。そんな浅野さんをを支えているのは厳しい下積み時代の経験です。 宮城県登米市米山町に生まれ、23歳で埼玉県で塗装業を営む叔父の下へ弟子入り。ちょっとしたアルバイトのつもりで後輩3人を誘い、塗装業の世界へ飛び込んだ浅野さんを待っていたのは、予想以上に大変な毎日でした。親方は手取り足取り教えてくれるわけではなく、仕事は見て覚えろ、という昔気質の職人。「とにかく怖い人で。いつも怒鳴っていましたよ」。 毎朝5時には親方を迎えに行き、真っ暗になるまで働く日々。休みもなかなか取れないハードなスケジュールの中「もう限界だ」と、何度も思ったという浅野さん。しかしそんなときには、自分が連れてきた後輩たちのことを思い「自分が踏ん張らなければ、彼らに申し訳が立たない」と、気持ちを奮い立たせました。

  • 後輩たちが働ける場を自分が作らなくては

    2年目の春、親方から大きな仕事を『職長』として任されました。これが浅野さんにとっての大きな転機となりました。「自分を育てようという親方の想いを感じ、それに精一杯、応えようと必死になりました」。仲間たちの中でも特に厳しく指導されたのも、期待するものが大きいから。そのことに気づいた瞬間でもあり、その頃にはこの仕事に大きなやりがいを感じるようになっていました。 連れてきた後輩たちもメキメキと腕を上げていき、大変ながらも充実した日々を送っていた浅野さんですが、心には常に故郷への想いがありました。「みんないつかは宮城に帰るだろう。そのときに、全員が仕事に就ける環境を作らなければ。まずは自分がその基盤を作ろう、と考えたんです」。 こうして仲間たちに1歩先んじるかたちで帰郷。登米市南方町で看板を掲げたのは28歳のとき。自分の名前と、後進の『道しるべ』となるように、と社名を「光美装」としました。

  • 親方の背中を想い自分を律する日々

    こうした日々の仕事で思い出すのは、親方の背中だという浅野さん。多くの職人を抱える立場にあっても休まず、必ず自分の目で現場を確かめる。決して手を抜かない親方の姿勢を、浅野さんも見習っているといいます。 今は「この仕事の面白さを、若い人に伝えたい。後進の職人をもっともっと育てたいですね」と展望を語る浅野さん。塗装工の明日を見つめるその瞳には美しい光が満ちている。