父や先輩職人に触発されながら精進を続けて

クラシタス会 大工工事担当
五十嵐 淳一

  • 「いつか自分も手に職を」父の背中を見て自然と志した道

    山形市で「一人親方」として、その才を発揮する五十嵐さん。同じく一人親方として活躍する大工仲間の間にネットワークを持ち、仕事の正確さや丁寧さはもとより、大工の取りまとめ役としても頼りにされています。五十嵐家は父の代からの大工一家。父や職人たちが、自分の腕1本を頼りに働く現場を、間近に見て育ちました。そのため、いつか自分も大工に、と自然と考えるようになったと言います。父の下で修行をスタートさせたのは19才のときでした。「父には『まず手で道具を使えるように』と、カンナやノミの使い方をみっちり仕込まれましたね」。まず最初はゲンノウ(槌)から。一見簡単そうに見えますが、狙った角度でまっすぐ釘を打ち込むには、修練が必要です。「いくらこっちが新米とはいえ、現場には工期がある。周りはいちいちかまってくれませんからね。いつまでも新米のままでは、置いて行かれるだけですから」と五十嵐さんは振り返ります。その日の現場が終わった後は、ひっそりと特訓。当時の自分を特訓へ向かわせる原動力は早く一人前になりたいという強い想いでした。

  • ベテラン大工たちの仕事ぶりに刺激され技を磨き足元を固める

    こうして必死に仕事を身につけ、現場経験を重ねること6年。父を通じて受けていた仕事の依頼も、自分宛てに直接依頼が来るようになりました。その頃に受けた「家の新築」はベテランの先輩から「そろそろ棟梁やってみるか」と声をかけてもらった案件でした。通常の現場では棟梁がすべての建材に墨付けをすることから始まります。しかし、新米棟梁をサポートするため集まったのは全員が棟梁を張れるレベルのベテラン大工の皆さん。「全員で図面を見て、全員で墨付けするところからスタートしました。全員が棟梁のようなものです。先輩方に助けてもらい、ありがたいと思う一方、この仕事を本当の意味で1人でできたらカッコいいな、と思ったものです」。先輩方の仕事ぶりにも触発されながら、五十嵐さんは着実に足元を固めていきました。

  • 今だからこそできる良好なコミュニケーションと対話の上に成り立つ仕事

    棟梁としての仕事は、「どのタイミングで、どの職人に入ってもらうか」の見極めが難しいと五十嵐さんは話します。「昔はなかなかしっくりこなくて『みんな勝手ばかり言って』と思っていたものですよ(笑)。でも職人との関わりが深くなると、それぞれの適性もわかってくる。じっくり腰を据えて考えることが大切なんです」。五十嵐さんは、いつか叶えたい夢があると言います。それは「昔ながらの工法で家を建てること」。機械を使わず、墨付けも自分の手で。そんな風に、じっくり家を建ててみたい、と真剣な面持ちで語る五十嵐さんの目は少年のように輝いていました。