信は荘厳なり

クラシタス会 寺社飾金物担当
佐藤 善達

『信は荘厳なり』という言葉がある。人の信心は、寺社などを彩る立派な装飾(=カタチ)から生まれる事もある、という意味の言葉である。一見すると人の軽薄さを言う語のように思える。だが、果たして本当にそうだろうか。その答えを求め、一路山形県庄内町を目指した。

  • 錺(かざり)

    春寒と言うにはまだ早い庄内。溶け残る雪に囲まれた工房に銅板を叩く鎚音が鋭く響く。 匠は一心に鎚を振るう。 佐藤善達-若干44歳にして国の認定資格「建築板金技能士」1級を持つ「金物師」である。匠の鎚音は一定である。そのたびにまぶしく輝く銅板に鏨の痕が刻まれる。生み出されていく紋様。鎚と鏨だけで銅板を御し、造形していく。これを「錺(かざり)」という。

  • 誇りを持って

    元来、建築金物は建物を風雨から守り、割れ・腐食と言った傷みを防ぐためのものだった。例えば、木材は割れやすい。だから木口(木材の切り口)や継ぎ目に金物を打ち、補強する。寺社に見る「破風飾り」や「柱根巻」などはその好例である。建築金物は明確な目的を持った道具なのだ。 だからこそ、道具の枠を超えた美に圧倒されるのだろう。匠は言う。「例えば寺院用の錺ではご先祖様に対する思いや感謝、極楽往生の願いを込めて浄土を描きます」 金物師が生み出す錺には、あらゆる人の極楽往生への願いが込められている。そういった願いに包まれた空間なのだ。 「ご先祖様への感謝や思いを表現でき、建物を守ることができるこの仕事に誇りを持っています」 匠は今日も鎚を振るう。多くの人々の心の中に金色の輝きを描くために。