左官としてのスキル向上を目指し、貪欲に「勉強」し続けた日々

クラシタス会 左官工事担当
八巻 正義

  • 無我夢中で駆け抜けた時期

    左官工としてこの道42年。きっかけは「高校の先生に勧められたから」と語る八巻さん。お父さんが大工でモノ作りを幼い頃から目にしていたので迷うことなく仙台市の左官会社に入社。 18歳から4年間「養成工」として修行を積みます。当時の親方は「技術は見て盗め」という人でした。手取り足取り教えてくれる世界ではない為5人いた同期は4年の養成工を終える時には八巻さんともう1人だけに。「楽しいと思ったことはなかったな」と当時を懐かしそうに話します。ではなぜ長きにわたって続けられたのか?その答は一言。「プライドだ」重みのある言葉が返ってきました。 養成工を終え4年目からは「左官工」として必死に技術を盗んだと言います。ハコものと言われる大型物件を主に扱う会社であった為、これまで手掛けてきた建物も名の知れたものが多く、えずこホール・大河原体育館・緑水亭・・・。必死に無我夢中で仕事を覚えた7年。その後、更に上の高みを目指し遂に独立を果たしました。

  • 「木造住宅を手がけたい」 その想いから2度目の修行へ

    独立後も3年間は元の会社で『返し』(職人には恩を返すという独特な習わしがあるそうです)として大型物件の仕事をしながらも、徐々に「直接お客様と接する一般の木造住宅を手がけたい」という新たな思いが浮かび始めました。 そこで一念発起、白石市で主に住宅を手掛けていた方へ弟子入りをすることを決意。「同じ左官でも、ハコものと住宅とではまったく違う。小さい面積を塗るには繊細さが求められますからね。一から勉強し直すつもりで励みました」。そして7年勤めた後、再び独立。一級技能検定を取得し、新たな道を歩きはじめます。 現在左官工は、なり手が少ない仕事の一つ。「今の若い子は教えてもらうまで待つタイプが多い。向上心も弱く、言ってもなかなか覚えてくれない。過去に何度か弟子をとったけれど、みんな途中で辞めてしまった。寂しいけれど、仕方ないのかな。」と語る八巻さん。仕上がりの達成感やお客様から感謝の言葉を直接受け取ることができる。その魅力が伝わり、なり手の裾野が広がることを八巻さんは願っています。 今後の夢を聞くと、「今、珪藻土(けいそうど)が流行っているでしょう?そこで珪藻土を使ったコースターやスプーンなんか、ちょっとした小物を作れるようになりたいですね。それをお客様にプレゼントできたら喜ばれるんじゃないかな」。最後に少しはにかんだ笑顔を見せました。