クラシタス株式会社

実績紹介

真宗大谷派 時應山 證道寺 様

学校教育の礎になりながら 町に寄り添う

足寄町の町の歴史とともに時を重ねてきた證道寺様。「明治35年 安藤證道(しょうどう)が寺子屋式教育を始める(現足寄小学校)」と、町史にもその名を残す。この安藤證道氏が、證道寺の初代ご住職である。
現在の5代目である安藤格(ただし)ご住職によると、安藤證道ご住職が葬儀のために足寄町に訪れた帰路、人口が増え始め生活基盤を整える必要があったこの町の駐在との間で「必要最低限の質素な建物を作って頂ければここに住みます」と会話を交わしたという。その翌年、證道寺が開祖された。こうして13戸しかなかった町で寺子屋式教育が始まり、足寄町の学校教育の礎としての役割を果たしたのだ。

次代を見据え受け継がれる 建造物と想い

今回證道寺様の四脚門を新築するにあたり、2001年に本堂屋根の改修工事を担当した弊社に施工をご依頼頂いた。
理想の四脚門の意匠を探求し、日本古来の歴史を感じる京都や奈良の山門を視察したというご住職。その中でご住職がかねてより好まれていた京都御所をイメージして、二軒(ふたのき)の垂木から成る威厳を感じる四脚門を提案。袖壁の色は京都嵐山の寺院で見た自然景観になじんだ唐茶色を参考に、時間という色彩が少ずつ加わることを考慮して、鮮やかな唐茶色をご選択された。ご住職の目の奥には、歴史を刻み足寄の町にしっくりなじんでいる袖壁の色が映る。「山門の銅板屋根に緑青が吹いて、理想の色になるのは私の次の代でしょう。18年経った本堂の銅板屋根も、まだ理想の色になっていないのだから」と将来を望む。
ご住職の思いに応えるように、時代を超えて四脚門を支える基礎工事も頑丈な作りになっている。足寄町は、最低気温がマイナス25・5度を記録したほどの寒い地域。凍結深度が1m20cmほどあり、基礎も深く掘る必要があった。「地元業者も驚くほどの想像以上の基礎工事だった」とご住職は工事初期の様子を振り返る。

新しい町のシンボルとして 語り続けられる寺に

町には葬儀業者の斎場がないため、門徒以外の町民も寺院内の会館を利用るなど、町になくてはならない存在となっている證道寺様。道行く人が山門の前に立ち止まり、「立派な門ができましたね」と気さくに声を掛けてくれるという。
「寺だけの門ではなく、町の小さなシンボルになってくれれば」と、山門を喜ばしげに見上げるご住職。「門というハードができたので、これから教化活動(ソフト)もより充実させ、婦人会を中心に引き継いでいきたい」と先を見据える。
浄土真宗の教えを「引き継ぐ」という思いと共に、建物も使命も次代へとつないでいく。時を重ねる證道寺様のこれからの姿も楽しみである。

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