にっぽん伝設紀行

山形県酒田市  山王くらぶ facebook

かつて日本海の海運を担った北前船。その寄港地には
当時最先端のモノやコトがもたらされ、独自の文化を形成した。
そして酒田もまたそんな華やぎある文化が栄えた港のひとつ。
この「山王くらぶ」は当時の酒田を彩った文化や風俗を今に伝える観光施設だ。

江戸初期の数寄屋建築や和洋建築の要素を取り込んだ日本建築の粋を集めた建物

かつての料亭が 観光施設として 酒田の地に蘇る

枯山水風の中庭を眺めることのできる喫茶室

酒田市役所から日和山公園につながる通り一帯は、かつて料亭やスナックなどが建ち並ぶ酒田随一の繁華街であった。その一角に建つのがこの「山王くらぶ」だ。各部屋にはそれぞれ異なる意匠が施されており、北前船が運んだ富、その主役となった酒田商人、その商人が育んだ料亭文化、寺社、文人墨客など酒田の歴史や文化に触れることのできる仕掛けとなっている。

入り口正面の美しい秋田杉の材に描かれた獅子とバナナの花(聴泉・画)

1894年(明治27年)の庄内地震で、とりわけ大きな被害を受けたのが酒田エリアだった。地震後の火災も重なり多くの家屋が倒壊、焼失したため、接待や商談などができる場所の再建が急務となった。そこで建てられたのが「山王くらぶ」の前身となる料亭「宇八樓(うはちろう)」だ。完成は翌1895年(明治28年)、棟梁は、日和山六角灯台や相馬屋(現在の相馬樓)などを手掛けた、酒田出身の名工・佐藤泰太郎である。

一つひとつの部屋に 異なる意匠が施された 見応えある普請道楽

梁に希少な黒柿材が使用された帳場

「宇八樓」は簡素な造りの中にも随所に贅を尽くした、いわゆる普請道楽であった。部屋ごとに意匠を違えており、それぞれに見応えのある仕掛けが施されている。例えば檜のコブを生かした入り口ホールの飾り柱、欅の一枚板を用いた飾り棚、ほこりがたまらないよう傾斜させた「ちり塵落としの桟」、明るいモダンな雰囲気を醸し出す組木の床など、それぞれが職人技の粋を感じる精緻な仕事ぶりである。特に106畳もの大広間となる2階の東側は格式の高い折上格天井となっており、訪れる者に感嘆のため息をつかせる見事

この部分は袋に入った三味線の棹をかける三味線掛けではないかと言われている

さだ。
かつての料亭「宇八樓」には、美人画で一世を風靡したかの竹久夢二もよく訪れ逗留した。当時は風紀の乱れを防止する意図で「料亭に人を泊めてはいけない」という決まりがあったが、夢二はパトロンに頼み込み、普段はあまり使われない茶室に寝泊まりをしていたという。逗留中は宇八樓で画会を開いたり、象潟へスケッチ旅行に赴いたりして過ごしていたそうだ。
この宝形造りの茶室の床の間は欅の一枚板に網代天井とし、柱は真っ暗な黒柿を用いてある。小さいながらも趣向を凝らした部屋だ。

その文化価値を あらためて捉え直し 未来へと伝えていく

戦中には酒田市臨海部に工場を構えていた鐵興社の規模拡大により1941年(昭和16年)同社の男子独身寮となった。終戦後は人手に渡り、1946年(昭和21年)に「山王くらぶ」として料亭を再開。しかし平成の世になると料亭文化の斜陽化の波にはあらがえず、1999年(平成11年)に休業した。2003年(平成15年)には国の登録有形文化財に指定されたが、維持管理が大変なことから、2005年(平成17年に)所有者から酒田市に寄付されることとなる。
かくして2008年(平成20年)、酒田の歴史などを広く紹介する施設として、新たな息が吹き込まれ、市の観光施設・

禅宗の仏教建築の様式にのっとった火燈窓(かとうまど)

新「山王くらぶ」がオープンした。館は前述の通り酒田の歴史資料館として運営されるとともに、2階の一室は、酒田商工会議所女性会のサブ組織「傘福くらぶ」の活動拠点になっている。酒田の傘福は「日本三大つるし飾り」の一つともされる伝統細工で、予約制で制作体験が可能だ。(※現在は新型コロナウイルス感染拡大防止の為、中止している。)
北前船がもたらした京の雅やかな色が溶け合い、独自の華やぎを持った酒田文化。ぜひここでその栄華を追体験してみてはいかがだろうか。

 

さあ「伝設」をその目で見よう!

山王くらぶ

●住  所/山形県酒田市日吉町2-2-25
●開館時間/9:00~17:00(最終入館16:30)
●休 館 日/12月~翌年2月 毎週火曜日(祝日の場合は翌日)
      ※12月29日~翌年1月3日は休館
      3~11月 無休
●入 館 料/一般410円、高校生200円、小・中学生120円
      (企画展の期間中は特別料金の場合あり)
●T E L/0234-22-0146

https://sannoukurabu.info/

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