にっぽん伝設紀行

福島県南会津町   旧南会津郡役所 facebook

朱色の屋根とブルーの壁のコントラストが印象的な洋館
かつて「南会津郡役所」として利用されたその建物には
誕生から今に至るまで、さまざまなドラマがあったという
その歴史を一つひとつたどってみよう

1971年(昭和46年)4月、福島県指定重要文化財に指定された。

その和洋折衷ぶりに見る 明治維新における 「進取の気性」

館内の壁は漆喰仕上げ。窓枠の濃茶との対比が清々しい

南会津町田島の中心部を見渡す小高い場所に、赤い屋根に青磁色の壁が印象的な一軒の洋館が建っている。建設は1885年(明治18年)。当時福島県内では「外観だけの擬洋風建築」から発展し、地方棟梁による本格的な洋風木造が活発になっていた。事実、建築は安達郡二本松町(現二本松市)と北会津郡若松町(現会津若松市)の大工が建築を手掛けている。
玄関前のポーチ上部が2階のベランダとなった造りは、当時の役所建築の特徴だ。また玄関ポーチの円柱や、上部をアーチ状に仕上げた上げ下げ窓、ファンライト(半円窓)やステンドグラスを用いた扉など、洋風建築の要素が随所に見られる。また、ベランダ上部の屋根に見られる千鳥破風や懸魚、板張りの回廊に囲まれた中庭など日本家屋の要素も併せ持ち、「いかに西洋文化を消化していくか」という、この時代ならではの和洋折衷ぶりが見て取れる。

群民の思いが支えた 大規模庁舎の新築工事

創建当時の郡長室

1879年(明治12年)の郡制施行により南会津郡が誕生。当初は藩政時代の陣屋を役場庁舎として活用していたが、建物の老朽化に伴い、新庁舎の建築が決まった。
資料によると、建設費は7700円で、現在の価値に換算すると約2億5000万円。このうち県費は3000円で、残りの4700円を郡民の寄付で賄ったとされている。南会津郡の発展に向けた郡民の、期待の大きさを示すエピソードだ。この頃、相次いで新改築された県内十余か所の同庁舎

郡長室のガラスケースには「第14代南会津郡長」の大礼服が展示されている

のうちでも、北会津郡役所に次いで規模が大きいものであった。
大正4年7月には、民俗学者・柳田国男がイギリスの人類学者・ロバートソンスコット夫妻を伴って訪れたこともあり、その折に撮影した写真も残されている。また柳田はこのときに見学した「田島祇園祭」にいたく感激し、後に著書「日本の祭」で紹介している。

 

200余年の月日を 見守り続けた 南会津町のシンボル

館内では郡役所の変遷や鴫山城遺跡出土品・資料、南山御蔵入騒動の歴史などを展示紹介している

1926年(大正15年)の郡制廃止にともない、郡役所が一斉に廃止された。以降は、福島県南会津支庁や地方事務所として南会津郡伸展の中心的役割を果たしてきたが、昭和45年に田島合同庁舎が新たに建設されるに及びその使命を終えた。本来ならば、解体される予定であったが、地域行政に深く関わった歴史の生き証人として、また明治時代初期の洋風庁舎建築の遺構としての価値が認められたこと、何より地域住民が保存を望んだことから、約半年の期間をかけて曳家の上移築を敢行。その後は「奥会津地方歴史民俗資料館」として再利用されることが決まった。1993年(平成5年)には歴史民俗資料館が「奥会津博物館」として新設されることが決まり、以降は現在の「旧南会津郡役所」として一般開放されている。
建築から実に200余年。木造建築がこれだけ長期間の風雪を耐えるには、寺社仏閣建造並の重厚さと、緻密さで生み出された躯体そのものの堅固さ、そして存続を望む大勢の人たちの思いが不可欠だったはずだ。その思いをのせ、洋館は今日も南会津の町を見守り続ける。

さあ「伝設」をその目で見よう!

旧南会津郡役所

●住  所/福島県南会津郡
南会津町田島丸山甲4681-1
●開館時間/9:00~16:00
●休 館 日/火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
●入 館 料/大人200円、高校生150円
小・中学生100円
●T E L/0241-62-3848

http://www.gunyakusho.ecnet.jp/index2.html

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